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墨子(要約)

 墨家は曾参と孔?の弟子とされ、四方を強国に囲まれる宋に生まれて非攻を提唱する宋の大夫・墨テキが始祖といわれているが、「子墨子」という単語が出てくることから「子墨予て」つまり「墨(大工)の師は予てこうおっしゃった」ということで、大工たちに学を授けた人物と思われます。(孟子や曾子の子輿は輿つまり馬車の先生ということ)。
 儒家の姿勢を徹底的に糾弾し、実践こそが正しさを証明することだと主張しています。儒家との問答は防衛戦に出向いたときか、先方が飲食をたかりにきたときでしょう。魯侯と問答しているのは防衛戦についてです。


第一 親士篇
 賢士こそ国の宝である。賢士は良馬のように思うままに使えない面があるが、上手に使えれば格別な成果をあげる。君主は大きな包容力をもって多くの賢士を集めること。
第八・九・十 尚賢篇 上・中・下
 政治を成し遂げるためには個人の出身にかかわらず能力本位で抜擢し、尊敬して爵位と俸禄と指揮権を与えること。そう明言すれば有能な人材はいくらでも見つかる。

第二 修身篇
 根本を疎かにしない。源が濁っている川の流れは清らかであるはずがない。源が清らかでも支流まで清らかでなければ清流とは呼べない。根本本を疎かにせず、心構えを全身に行きわたらせること。

第三 所染篇
 人は染め物である。人は周囲にいる人や周囲の環境に影響され、その性格を等しくする。なりたいと思う人物をそばにおけば、その人物の性格と等しくなれる。

第四 法儀篇
 従事させるには手本が必要である。手本があれば不器用な者にでもそれなりの道具を拵こしらえられる。政治の場合は、人々を分け隔てなく慈しむ「天」を手本とする。
第二十六・二十七・二十八 天志篇 上・中・下
 天が世界の究極的な支配者である。上の者が下の者を治め正すのが正義である。ならば、天の志向するところが人間社会の正義であり、万人の従うべき規範となる。

第五 七患篇
 節度を持たなければ国が滅ぶ。食料と国防を完備する。賞罰を正しくして無能者を廃して賢士を招く。保身よりも責任をとる人材を揃える。
第六 辞過篇
 必要以上の贅沢をしない。豪華な宮殿を建てれば、どんなな重税を課しても国家の貯えはなくなる。実用第一で質素簡便を旨とする。
第七 三弁篇
 華美な礼樂は排斥する。華美にするくらいなら、その時間と費用を他に回して政治をりっぱにする。
第二十・二十一・二十二 節用篇 上・中・下
 支出は利益を増すことにのみ用い、実利を離れた贅沢を排除して国富を図る。民衆の暮らしを安らげて人口増加を目指す。
第二十三・二十四・二十五 節葬篇 上・中・下
 立派な葬儀や長い喪は、人々を貧しくし、健康を損ね、さらには社会秩序さえ乱す。立派な葬儀や長い喪は暴君の行いであり、聖王の定めた規則ではない。
第三十二・三十三・三十四 非樂篇 上・中・下
 奏楽に伴う奢侈の風潮は民衆の利益にならず、奏楽にのめりこむ君子は政務を滞らせて社会の利益にならない。たしなむ程度ならかまわない。

第十一・十二・十三 尚同篇 上・中・下
 社会の秩序を保つには、直属(自らの1つ上)の上司に従い、報告を上げること。上司が間違っていたらきっぱりと諌め、善い者がいればひろく推薦する。

第十四・十五・十六 兼愛篇 上・中・下
 社会の混乱は他人をたいせつにしないことから起こる。我彼、身分、敵味方の区別なく、博くたいせつにこと。万人が兼愛であれば、混乱など起こりようもない。

第十七・十八・十九 非攻篇 上・中・下
 人を殺すことは大悪である。ならば戦争という大量殺人は巨悪であり、許されるものではない。他国を攻撃することは正義に反するのである。

第二十九・三十・三十一 明鬼篇 上・中・下
 鬼神(霊)の存在を信じ、畏れ敬うことが世界の利益に合致する。鬼神はすべてを見通し、その罰は誰にも避けられない。鬼神を恐れていれば不義をやめ、正義を行うようになる。

第三十五・三十六・三十七 非命篇 上・中・下
 すべての事象は人の努力しだいである。、運命や宿命として努力をやめて、秩序を乱れさせてはならない。

第三十八・三十九 非儒篇 上・下
 儒家の喪の期間には矛盾がある。また兄弟よりも妻子を大切にするのでは「近きから始める」に反する。宿命論の立場をとり、長寿も夭折も、貧富や安苦も、すべてが宿命であって左右できないものとしている。儀礼や雅樂を贅沢にさせ、必要以上に長い喪を強要する。仕事もせずに他人を頼って財を築き、飲食ばかり貪るとる。そのことを指摘すると「お前らなどに、すぐれた儒家のことがわかるものか」という。また「りっぱな人物は前例に従うのみ」という。ならば、創作をした人物はすべてつまらない人物であり、彼らはつまらない人物の決まりに従っているのか。
 孔某という人物は、困窮したときは人の物を平気で奪っておきながら、満ち足りるとうわべを取り繕っている。また「周公旦は妻子のためにも、成王を退けて自身が天子になるべきだった」などという不埒な心がけに基づいた行いをしている。その弟子にしても子羔と子路が衛国の内乱に荷担し、陽貨は魯国にクーデターを起こして秩序を乱し、仏?は晋国の中牟で謀反して衛国に寝返り、漆雕開は乱暴を犯して死刑にされた。弟子は師を目標とするのだから、孔某とそれに学ぶ儒家は信用できないのである。

第四十・四十一 経篇 上・下
第四十二・四十三 経説篇 上・下
 「墨経」とも呼ばれる論理学派の文献。経は定義文、説はその解説文である。

第四十四 大取篇
 物事の本質を見抜くための事例をいくつか挙げている。「小円も大円も円には変わりない」といった文が続く。

第四十五 小取篇
 論理学を取り上げている。弁論の本質を見抜き、誤りを指摘することを説く。

第四十六 耕柱篇
 義を為すには、やれる方法で行えばよい。たとえば弁論や読解や労働でもかまわない。
 他人が見ていないからと実践をやめるのは、上司が見ていないからと仕事をサボる職工に等しい。
第四十七 貴義篇
 義より貴いものはない。正義を主張して命を危険にさらすこともある。料理のできない人は料理長になれと命じられたら辞退する。ところが政務ができないのに大臣を命じられると引き受けてしまう。矛盾したことである。



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